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大阪地方裁判所 昭和43年(わ)2627号 判決

被告人 松田孝郎

昭一二・九・二八生 無職

主文

被告人を死刑に処する。

押収してある登山ナイフ一丁(昭和四三年押第七八〇号の一)同皮サツク一ヶ(同号の二)をいずれも没収する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は昭和一二年九月二八日愛媛県宇和島市で当時薬局の外交員をしていた父松田治一と旅館の女中安部邑との間に生れ父によつて認知されたが、同女の下で育てられ、昭和二八年三月、同県南宇和郡城辺中学校を卒業し、魚屋店員、理髪店見習、自転車屋店員、映画館従業員などと転職したが、勉学の意欲に燃え昭和二九年四月同県立南宇和高校に入学したものの、貧困のため同年七月同校を中途退学した。しかし、進学の希望を諦らめきれず、昭和三〇年四月再び前記南宇和高校に一年生として入学し、勉学を続けるうち、同年五月筒井サツキ(当時浅田さつき)と知り合い、交際を続け懇ろになり昭和三一年四月には同女と肉体関係を結ぶ間柄となつたが、同女の両親から別れるように強く責められ、さらには実父からの学費援助が中止されたこともあつて、同年九月同校を二年で中途退学し、同女と同棲するようになつた。

その間、被告人は自動車運転免許を得て、自動車運転手として働いたものの昭和三二年一一月二八日ごろ、経済的に行きづまり、合意のうえ同女と別れ、その後被告人はキヤバレーボーイ、自動車運転手、映写技士見習、調理士見習などいずれも短期間で転職するうちに、昭和三五年九月広島県安芸郡船越町において乗車しているタクシーの運転手から金品を強取して、昭和三六年四月一〇日広島地方裁判所において、強盗罪により懲役四年に処せられ、広島刑務所において服役し、昭和三九年一二月一一日満期出所後は暴力団神戸本田会長田組の準組員となり徒食するうちに、昭和四〇年二月神戸市内においてタクシー強盗に着手して同年四月二八日神戸地方裁判所において、強盗未遂罪により懲役三年に処せられ、神戸刑務所において服役し、昭和四三年四月六日満期出所した。出所後、暴力団酒梅組系寿組の若衆となつてパチンコ店の用心棒をしていたものの同月三〇日その生活に嫌気がさし、同組を飛び出し諸所を徘徊したが、筒井サツキのことが忘れられず、同年五月二四日ごろ同女の現住所を捜すため同女の本籍地である愛媛県南宇和郡城辺町の町役場に赴き、同所で同女が筒井義雄と結婚し、大阪府吹田市泉町四丁目に新戸籍を編成していることをつきとめ、翌二五日ごろ右吹田市役所に赴き同女の戸籍を閲覧したところ住所は同府門真市向島町九番九号所在の東光マンシヨンで、夫との間に正樹、佳代の二児を設けていることを知つた。早速捜し歩いて同日午前一〇時三〇分ごろ右東光マンシヨンに赴き、同マンシヨン二階の筒井義雄方のドアーをノツクした。サツキが開かれたドアーから現れたが、被告人は一一年間も会えず漸く捜し求めたことによるあまりの感動に声が出ずただ棒立ちしていたところ、同女が「ねえー、何か用事、用事なら早く言つてよ。」と言つて被告人に背を向けて雑布で玄関上り口を拭きながら、さらに「何の用事、私忙しいんだから」と如何にも被告人を無視した冷たい態度に、被告人は強い憤りに身をふるわせながら無言でドアーを強く閉めて外へ出た。被告人はすぐ吹田駅へ引返し、身の落着く場所を求めて、静岡市に赴き、静岡保護観察所の斡旋で、同市駒形通り一丁目二番二三号所在のパチンコ遊技場「コルト四五」(経営者須田公策)に住込店員として勤めることとなつた。被告人は右パチンコ遊技場「コルト四五」において働らきながらもサツキのことが想い出されて日夜煩悶し、同年六月二九日ごろから同年八月二日ごろまでの間、サツキ宛に八通も手紙を書き送りサツキに対する愛情を訴え、ときには脅迫的言辞を混じえながら復縁を迫つたがサツキからは二人の子供の母で到底復縁できないこと、立派に更生してくれるよう祈るなど手紙や電話で返事があり、同月三日ごろには、このような状態ではサツキに復縁を求めることは困難であり、この上は同女を殺害する以外にないと考えはじめるようになつたが、当時所持金もなかつたことから実行に移す日を待つていた。同月五日午後一一時三〇分ごろ、七月分給料二万三七〇〇円を受取つたので、早速実行に移すため旅装を整え、翌六日午前〇時三〇分ごろ、前記パチンコ遊技場「コルト四五」を出て静岡駅に到り、同駅発午前二時四四分発列車に乗車して同日午前一〇時四〇分ごろ、吹田駅に着き、同駅前の吹田市元町四番一五号所在の千代の家旅館(経営者道中千代枝)に身を寄せた。そして同旅館からサツキの住む東光マンシヨン二階七号室に電話しようとしたが、電話番号を記載したサツキからの手紙を静岡に忘れてきたことから旅館の女中に依頼して電話番号を調べさせ前記東光マンシヨンの管理人室に電話したところ同人から後に電話するよう取次いでくれ、同日午後八時五〇分ごろサツキから電話がかかつてきた。被告人は同女に対し「今朝大阪に着いて吹田駅前の千代の家旅館に泊つている、明日どうしても逢いたいから君の都合のよい場所と時間を指定してくれ」と申し向けたところ、同女は翌七日午後一時三〇分ごろ門真市の国鉄バス八尾線の三番バス停留場で逢うことを約束した。

被告人はサツキと逢い、もう一度復縁を迫り、それでも拒否されれば、サツキのみならず、同女の一家を皆殺しにしようと考え、同日午前八時三〇分ごろ、前記千代の家旅館を出て、吹田市朝日町一八番一七号所在の刃物販売業芳村弥之亮方において刃渡り一二、六センチメートルの登山ナイフ一丁(昭和四三年押第七八〇号の一、二)を一三〇〇円で買い求めてこれを紙袋にいれ、同日午後〇時五〇分ごろ、約束の場所である門真市の国鉄バス八尾線三番バス停留場に赴いたところ、時間が早くサツキの姿が見えないので同女の住む東光マンシヨンに向つて歩いていたところ、右マンシヨンから出てくる同女と逢つたので、同日午後一時四〇分ごろ近くの同市月出町一八番二七号所在の喫茶店「茶々」(経営者茅野春美)に同女を誘い入れた。被告人は同女と向き合つて坐りながら同女に対し「絶対に君を諦めない、命のある限り諦めない、必ずお前を俺のものにして取り戻す」などと申し向けているところへ、同女の夫筒井義雄が右喫茶店に入つてきたので、同人に対してサツキと別れるよう迫つたが両名ともこれに応ずる態度を見せないことから、ここに同女のみならず同女の一家を皆殺しにしようと決意するに到り、それには先ず抵抗力の強い義雄を殺害しようと考え、同日午後四時ごろサツキを帰宅させた。被告人は向き合つて坐つた義雄に対し「俺はどうしてもお前からサツキをとる」「お前は明日会社で無事に仕事ができると思つているのか」などと申し向けて、殺害決行前の興奮状態を押え度胸をつけるためビール小瓶三本およびウイスキー二杯を次々に註文して一気に飲み干したうえ、同人に対し「筒井さん、俺はあんたに何の恩も恨みもないが、女房のサツキが憎い、あんたには気の毒だが、仏になつてもらう。」と申し向け同人を睨みつけながらテーブルの上のビール瓶やコツプを左手で払いのけ、椅子の上の紙袋に右手を入れて前記登山用ナイフを取出し、左手でネクタイを緩めると、同人において、被告人の殺気を感知して、飛び上るようにして同店を逃げ出したので、右手に抜身のナイフをもつたまま追いかけ同町一〇番一号地先道路上においてつまづいて倒れた同人を右手に逆手に持つた登山ナイフで突き刺そうとしたところ、当時溝の掃除をしていた置田守(当二五年)および騒ぎを聞いてかけつけた家村ユキ(当五九年)らから仲裁に入られ、やむなく一旦ナイフをズボンのポケツトに収めたものの、四つん這いのまま拝むように両手を合わせて「私が悪かつた、勘忍してくれ、助けてくれ」などと泣いて哀願する義雄に立ち上るよう命じて先に歩かせ、二〇メートル位引返した同町六番二六号地先道路上において付近に人がいないのを確かめ、殺害するのはいまだと決意し、所携の登山ナイフを右手に持ち、同人の左脇腹めがけて左側腹部を力いつぱい突き刺し、突き刺したままの登山ナイフの柄を両手に持つて上下に二、三回えぐり、「やめてくれ」と喘ぎながら登山ナイフの柄をもつた同人の手を払いのけ、さらに同人の左前胸部を力いつぱい突き刺し、よつて同人をして心臓刺創および腹部大動脈切断による失血により即死させ、ついでサツキおよびその子を殺害すべく右手に登山ナイフを持つたまま東光マンシヨン二階七号室へ土足のまま駆け上り、同室四畳半の間で机の前に坐り思案の体のサツキの斜右前に立ちはだかり、「おい」と怒鳴りつけると同時に登山ナイフで同女の腹部をめがけて力一杯突き刺し、さらに悲鳴をあげて必死にもがく同女の胸部、背部、頸部等をところ構わず一〇ヶ所以上も突き刺し、よつて同女をして胸部刺創による心臓刺創に基づく失血のため即死させ、ついで同室奥八畳間に就寝中の長女筒井佳代(生後一年二ヶ月)に近づき登山ナイフを右手に逆手に持ち、両膝を曲げると同時に力いつぱい同児の背部を三回突き刺し、よつて胸部大動脈切破による失血のため即死させ、それぞれ殺害を遂げたものである。

(証拠の標目)(略)

(法令の適用)

被告人の判示各所為はいずれも刑法一九九条に該当するので、各所定刑中それぞれ死刑を選択し、以上は同法四五条前段の併合罪であるので同法四六条一項、一〇条により犯情最も重い筒井義雄に対する殺人罪の死刑に従い他の刑は科さず、押収してある登山ナイフ一丁(昭和四三年押第七八〇号の一)および同皮サツク一ヶ(同号の二)は判示各犯罪行為に供した物およびその従物で被告人以外の者に属しないから同法一九条一項二号、二項によりいずれもこれを没収することとし、訴訟費用については刑事訴訟法一八一条一項但書により被告人に負担させないこととする。

(弁護人の主張に対する判断ならびに量刑の事情)

一、弁護人は、被告人は本件犯行当時病的感動による心神耗弱の状態にあつたと主張するので案ずるに、証人吉村一郎の尋問調書(中略)を総合すると、被告人は妾腹の子として生れ女手一つに育てられたためわがままで気が弱く、中学校から高等学校中退に至るまでは担任教師のみるところでは学業成績も中程度で性格にも格別の異常性は認められなかつた模様であるが、被告人の前顕各司法警察員に対する供述調書ならびに被告人の昭和四三年九月三〇日付検察官に対する供述調書によると、被告人は昭和三三年五月より同年一二月頃まで宇和島精神病院に入院した経歴があり、また昭和三二年一二月以来数回自殺を図つて未遂に了つたことがあるので、被告人の精神状態および性格についてはさらに検討を要するものがあると考えられる。鑑定人小沼十寸穂作成の鑑定書(被告人に対する強盗被告事件につき昭和三六年四月一〇日広島地方裁判所が言渡した判決に際し同裁判所から鑑定を命ぜられ、同年三月六日作成されたものの謄本)によると、右病院入院の理由は、被告人は無頼にして容易に職に倦き、或は喧嘩して職を換えること頻回であり、女に恋々として放浪し、或は成算なき同棲生活をし、屡々自殺を企て、性軽俳浮薄にして意思薄弱なるのみならず、自己中心的で我慾を制し得ず、欲しきものは徹底的に要求し、易忿刺戟的で暴発すること多く、母を始め殆ど手を焼いて困却し、しかも被告人が口術やや旨きにより屡々欺かれて信を措くことができず、最早や尋常にては施す術なしとして精神病院に収容の便宜を取図つたものであつて、当時同病院長としては被告人には妄想、幻覚等の積極的症状はなかつたが、被告人の自殺歴等異常性格、依頼人の慫慂、それに被告人の入院意思を認めて、精神分裂病なる病名を付して入院を許可したが、その際主治医は、必要にして十分なる本人の生活歴、性格、性格反応、自殺企図の因つて来る所以等を精診するところなく、自殺企図後憂悶し、無口にて、能動的でなく、非協調的、非社交的なるを捉え、これを緊張病(精神分裂病の一型)なりとし、一ヵ月未満電撃療法等を施してその後は監禁するのみに止つたのであるが、小沼鑑定人の精密診断によると、被告人の父系血族には格別の精神病的遺伝歴は認められないが、母方祖父に精神障害者あるも病名は詳かでないが、その遺伝的素質はうけつがれているものとみられ、向性度プロフイール、パーソナリテイ・インベントリイ、矢田部ギルフオート性格検査によれば、被告人は劣等感が強く、神経質にして社会的向性少く、感情度易性があり、ヒステリー性格要素、類癲癇性々格要素、回帰性要素が認められ、抑うつ性大、気分の変化大にして精神の不安定性が強く、いずれもその偏向が大きく精神変質(精神病質、性格異常)の領域のものに属するものとなるのである。そして被告人の場合は特にヒステリー性格と類癲癇性々格とが入りまじつた性格が強く顕出されており、すなわち、人格が確定せず、親等に依存的であつて、自恣我儘で、自己中心的、顕耀性で、新しい環境では一時奮い立ち調子に乗るも、自然に倦いてさらに新しい環境を求めるが、少許のつまずきにより挫折し、つぎの環境を求めて止まず、職業等を転々とし、軽俳、意思薄弱にして、一応は自らを飾つて頼母しさを示すも、実は内容薄弱にして堅固なる生活設計をなさず、容易に自殺等を口にして或は軽々にこれを試み、自殺企図等によりて自らの悩みの深刻なるを自他共に知らしめんとし、あるときは自虐的であり、近親者には迷惑をかけ続けて恥じず、また異常なる清潔癖をもち、自己中心的我強く、綿密にしてしかもいい出したらきかず、やり出したら徹底的であるが、易忿刺戟性、易倦性、不機嫌性を具えているのであるが、要するに被告人はヒステリー性、類癲癇性の性格異常を兼ね有しており、それは母方祖父の遺伝素質的なものの上に、妾の子として社会的心理的に極めて不良な環境に育てられたことによつて後天的にも造成せられたものであつて、被告人にはかつて精神分裂病等の精神疾患の常況にあつたものでなく、病的性格の常況にあつたとしても、意識障碍はなかつたものと認められるのである。

弁護人は本件犯行は被告人の病的感動によつて惹起されたものであると主張しその意味やや不明であるが、これを被告人の病的性格または病疾原因により突発的、衝動的、無目的的、無自覚的に発生したものとの趣旨に解するならば、被告人に病的性格のあることはさきに認定したとおりであるが、本件犯行は被告人において前もつて綿密に計画され、あらかじめ兇器を準備し、最後の交渉段階においても被害者において被告人の要求を容れるならば敢えて犯行に出ないことの思慮をめぐらし、その実行に際してもまず最も抵抗力の強いとみられる筒井義雄からこれに著手して殺害し、ついで予定の行動に従つて母子を惨殺したものであつて、犯行の態様は異常残酷であつても、その企図は緻密、行動は徹底的であつて、その間には強固な意思の一貫性が認められて矛盾は感じられないのである。

もつとも被告人の綿密性、徹底性は被告人の病的性格に基因するものであることは前説示のとおりであるから、この性格が本件犯行に影響を与えたことは否みえないとしても、その故に被告人が本件犯行に際し是非善悪の弁別能力を欠き、かつ行動能力に著しい障碍があつたとは認められず、被告人の本件犯行当時における精神状態は正常であつたと認められるから、弁護人の右主張は採用することができない。

つぎに量刑につき案ずるに、本件は判示認定の如く、十一年以上も前に同棲し、合意の上別れ、現在二児の母として平和な生活を送つている被害者サツキに復縁を迫りそれが果せないという理由でサツキのみならずその夫義雄や僅か生後一年二ヶ月の長女佳代を殺害したものでその動機において全く同情すべき点はない。サツキとしては今更被告人から復縁を求められても到底これに応ずることは不可能な立場にあつたもので、それにも拘わらず執念深く復縁を求める被告人の態度は、全く我慾のために他を顧みない常軌を逸脱したものといわなければならない。

また犯行の態様についてみるに、まず第一の犯行現場においては白昼公衆の面前で登山ナイフを振りかざし被害者義雄を追いかけ、何の落度もない同人が両手をあわせて「助けてくれ、悪かつた」と必死に哀願するにも拘わらず、全く無視し、登山ナイフで強く腹部を突き刺し、その上突き刺したままの登山ナイフを両手にもつて上下にえぐり、なおも、とどめの一撃を胸部深く突き刺し義雄が倒れて死ぬのを見届けて後さらに第二の殺人現場に向うという執拗かつ大胆にして人道を無視した残虐極まりない犯行であり、さらに同現場においては、サツキに「おい」と一言かけるなりその腹部を登山ナイフで柄を通らんばかりに突き刺し、同女が「勘忍して、やめて」と悲鳴をあげながら苦しみもがくのに容赦せず、判示のとおり同女を滅多突きにして、最後は咽喉部に止めを刺し、さらに隣室において就寝していた幼児を殺害するに至つたものであつて、その兇悪、残忍な行為は鬼畜にも等しいものがあるといわなければならない。

もつとも被告人は当公判廷において右第二の犯行現場における順序につき、サツキをより一層苦しめるためまずサツキの面前で幼児を殺害し、しかる後サツキを殺害したものである旨判示と異る主張を固執するのでその当否を考えてみるに、犯行現場の隣室に住んでいた証人石川志津によると、右犯行直前被告人が同人方に来り筒井方の部屋を尋ねたので隣室であることを教えると被告人はその部屋に入つた気配を感じたが、「おい」という被告人の声が聞えるとすぐサツキの恐しい悲鳴が聞えたと証言していること、サツキの面前で幼児が殺害されたとすると母性愛の本能としてサツキは身をもつて幼児をかばつたと考えるのが常識であるのに現場の状況からはかかる形跡は認められず、被告人もまたサツキのさような動作のなかつたことを肯認していること、被告人は犯行直後作成された司法警察員に対する自首調書においても右犯行の順序を判示のとおり自供し、爾後、司法警察員、検察官の取調べにおいてもその供述を変えておらず、またそれらの段階において被告人が犯行の順序につき虚偽の陳述をしなければならなかつた理由は見当らないこと等から考えると、本件第二の犯行現場における殺害の順序は判示のとおりであつたと認定するのが相当である。それにもかかわらず被告人が当公判廷に至り右の主張を強弁するのは、その性格に由来するもの、すなわち自己の罪責を殊さら重くみせかけようとする自虐性、または顕耀性の表われとみるほかないと考えられる。このことは被告人が当公判廷において二回も国選弁護人の解任を要求し、その理由として自分は弁護人から利益な弁論をしてもらう必要はないのにそれらの弁護人は被告人の意思に反して被告人に利益な言動をとつたからであると主張することからみても容易に推察できるのである。

被害者サツキが年令三〇歳の健康で明朗な女性であり結婚生活四年余でその間二児を設け、平和な家庭生活を営み、子供の成長を夢見ていたものであり、また被害者義雄は年令二九歳の建築会社に勤める青年で若くして一級建築士の資格を得、将来を嘱望されていたものであり、いずれも若い生命を奪つた被告人の刑事責任は重大である。長男正樹は当時室外へ遊びに出ていたため幸いその難を免かれたものの僅か四歳にして孤児となり、終生拭い去ることのできない深い悲しみを背負わされることになつてしまつたのであつて、被告人の残忍極まりない行為がいかに深大な影響を与えたかはかり知れないものがある。

被告人は精神医学上遺伝負因の存する家庭に生れたうえ、妾腹の子として社会的、心理的に極めて不良なる環境に育てられたことによつて今日の性格異常を形成した点については同情すべきものがあるが、判示認定の如く、二回にわたり七年間も異常性格に対する矯正教育を受けながらこれを受入れることなく、反社会的行為を積み重ね、現在の如き性格異常を形成したものであつて被告人自身その性格形成についての責任の大半を負わなければならない。また、被告人は公判審理においても本件犯行を悔悟する気持は皆無といつても等しく被害者一家の中長男正樹を殺害できなかつたことを残念であるとさえ放言しているのであつて、かかる被告人の態度には情状酌量の余地は全く存しないものといわなければならない。

以上のような本件犯行についての諸般の情状を考慮すれば、被告人に有利な事情を凡て斟酌しても本件犯行に対する被告人の刑事責任は極めて重大であつて極刑に値いするものと断ぜざるを得ない。

よつて被告人に対しては死刑をもつて処断することを相当であると考え主文のとおり判決する。

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